ある冬至の日。
その年の冬至は、いい天気だった。
だが、かよこにはそんな天気も良いふさぎこみの理由には充分だった。
冬季うつ病。そんな風に診断されても、だらだらと無為に時間を過ごす理由にしかならなかった。凍れる風が背中を緊張させ、首と肩を固める。
ため息をつきながら部屋を見回す。散らかった部屋。溜まった洗い物。
更年期障害真っ只中のかよこにある未来は1日1日老いていくだろう日々。常に倦怠感と疲労感とそこかしこの痛みがのしかかる。
先年、世界中を駆け巡った感染症の影響によるもの。
そう自分に言い聞かせたが、まったく家事や育児に協力せず、口を開けば仕事の愚痴かため息しかつかない夫。発達障害と診断されて不登校を完全に決め込んだ子ども。
寄り添うしかないこの状況で、ある日、急いで作った夕飯と足りないと思って買った総菜をもそもそ食べながら「最近、ろくなものを食ってない」とつぶやいた夫の一言は、かよこのそれまで持ちこたえていたなにかを、完全に潰した。
それ以来、かよこは夫に対し、業務上連絡以外は無言を貫いている。作っても無駄。コンビニ食で補食できるくらいなら別に言い訳せずとも作る必要はない。
夢の中でもことごとくを否定される夢を見ては息苦しさで何度も中途覚醒に至って、精神科を訪れたときに、医師に促されてかよこは家事をやめた。
しかしながらやめたとて、夫のため息が増えるのみ。ばかばかしい。
「ばかばかしい。」その一言を口に出してから、瞬く間に汚部屋、汚台所が出来上がった。子どもだけが、「…おかあちゃん、ごめん。」と謝ってくれた。
子どもに罪はない。頑張って、吐き気をこらえて手伝ってくれる日もある。最近は洗濯物を干すコツを覚えてくれた。不登校なのだからちょうどいい。生活能力さえ獲得できれば、不便は多少なりとも解決するだろう。
事態を重くみた友人も何くれとなく励まして片づけを手伝ってくれる。
だが、私の心は潰れたままだ。日常生活での家事の部分、ここだけを私は手を出せないでいる。トイレと浴室だけは、かろうじて壊滅的になることを避けている。
その冬至の日もかよこは体調不良で二度寝の朝を迎えた。パートは休み。
ふと、風呂に入りたくなり、湯を沸かしなおして入った。今は代謝が落ちてたるんだ身体をケアしようとすら思わない。
浴室に入る手前でかよこは足元に落っこちている未開封の掃除道具を目にした。
Sonic Scrubber®と書かれたそれは、以前に買ったまま、乾電池がないせいで使わずに放置してあるものだった。でかい、電動歯ブラシのようなもの。
こんなもので変わる環境なら変えてみたいと思いつつ、その後に買った単3の乾電池を入れて、そのまま風呂に持ち込んだ。大掃除など、もう何年もしていない。
落ちない水垢に黒カビが付き、もうその光景に慣れてしまっている。
身体をあらった後、かよこはなんとなくその水垢と黒カビをからかうつもりでSonic Scrubber®のスイッチを入れた。
結構な音を立てて、それは仕事を開始した。落ちるはずがないだろうと思っていた汚れが飛び散っていく。これまで手の届かなかった複雑な水道混合栓の裏、下、浴槽の不要な出っ張り下に溜まる汚れを駆逐していく。シャワーの懸台の汚れすらあっさり落ちたことに困惑するほどだった。
わずかな時間で、黒カビの着色と結石は残ったものの今までひたすらに頑張ってきたはずの汚れが落ちたことにかよこは、複雑な心境になった。
かよこが潰れていたのは、「楽をすること」をねたむかのような、夫の言動を真に受けた自分自身の問題で、意固地になって全てをこの手で完璧にやってやる、という間抜けなプライドの重さではなかったのか。
今日までそれに見向きもしなかった自分自身の心が溜まり重なった汚れに見えていたことを、感じた。「ばかばかしい。」とつぶやく口元に笑みが浮かぶ。
かよこは日ごろあまりしない髪の手入れをした後、ネットショッピングの購入履歴を鷺っていた。「これ、どこで買ったんだったっけ」。
かよこの、汚部屋への逆襲はこうして幕を開けた。